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荒川静香

荒川 静香(あらかわ しずか、1981年12月29日 - )は、日本の女子フィギュアスケート選手。2006年トリノオリンピック金メダリスト。

プリンスホテル所属。数々の競技会で優勝・入賞経験がある、日本を代表するフィギュアスケーターの一人。世界選手権にて優勝し、日本人として3人目の世界女王となる。2006年のトリノオリンピックにてアジア選手として初めて優勝し、地元イタリアのマスコミにより東洋の女神と称される成績を残した。

ロシア人コーチのタチアナ・タラソワに師事していたが、演技の方向性がかみ合わなかった事と、タラソワが活動拠点を母国ロシアに移動・特化したため、荒川-タラソワの師弟関係は2005年12月に解消。日本国内ではこれまで通り佐藤久美子(フィギュアスケートコーチ佐藤信夫の妻)に、海外では振り付けを担当していたニコライ・モロゾフにそれぞれアドバイスを受ける。

滑らかなスケーティングと、大きく背中を反らせた「レイバック・イナバウアー」が得意。イナバウアーをする選手は存在するが、大きく体を反らせた「レイバック・イナバウアー」は、荒川の特長と言ってもよい。 演技の優雅さ、滑らかさ、女性らしさは世界でも随一。しかし、早い曲や小気味のいい曲は苦手だという。

2006年5月7日、プロへの転向を表明した。


荒川 静香(あらかわ しずか、1981年12月29日 - )は、日本の女子フィギュアスケート選手。2006年トリノオリンピック金メダリスト。

プリンスホテル所属。数々の競技会で優勝・入賞経験がある、日本を代表するフィギュアスケーターの一人。世界選手権にて優勝し、日本人として3人目の世界女王となる。2006年のトリノオリンピックにてアジア選手として初めて優勝し、地元イタリアのマスコミにより東洋の女神と称される成績を残した。

ロシア人コーチのタチアナ・タラソワに師事していたが、演技の方向性がかみ合わなかった事と、タラソワが活動拠点を母国ロシアに移動・特化したため、荒川-タラソワの師弟関係は2005年12月に解消。日本国内ではこれまで通り佐藤久美子(フィギュアスケートコーチ佐藤信夫の妻)に、海外では振り付けを担当していたニコライ・モロゾフにそれぞれアドバイスを受ける。

滑らかなスケーティングと、大きく背中を反らせた「レイバック・イナバウアー」が得意。イナバウアーをする選手は存在するが、大きく体を反らせた「レイバック・イナバウアー」は、荒川の特長と言ってもよい。 演技の優雅さ、滑らかさ、女性らしさは世界でも随一。しかし、早い曲や小気味のいい曲は苦手だという。

2006年5月7日、プロへの転向を表明した。
あだ名はしーちゃん(今のところ公にしーちゃんと呼んでいるのは本田武史をはじめ安藤美姫、高橋大輔など代表選手が多い)。身長166cm、血液型O型。一人っ子である。

ポーカーフェイスな表情から「クールビューティー」と称されていたが、最近は独立心が芽生え、 トリノオリンピックに向け笑顔で意欲的に取り組んだ結果、見事出場を決めた。

後輩の安藤美姫や恩田美栄に慕われている。また浅田真央も”憧れの選手”であると尊敬の意の言葉をよせているという。村主章枝とは確執が取り沙汰されたが、トリノオリンピック中に和解が報道された。


女子 フィギュアスケート
金 2006 シングル

経歴・エピソード
東京都品川区生まれで、1歳半より宮城県仙台市で育った。父は秋田県出身。仙台市青葉区のわかくさ幼稚園に通園。6年生の途中で仙台市立台原小学校から利府町立しらかし台小学校に転入。利府町立しらかし台中学校卒業、東北高等学校卒業(本田武史より1学年後輩)。早稲田大学教育学部社会科社会科学専修卒業(1学年先輩に村主章枝がいる)。

5歳でスケートを始め、小学校入学後本格的にフィギュアスケートを始めた。他にも3歳から水泳を始め6歳で全競泳を覚えるなど幼少時よりスポーツ万能であった。泉市(現:仙台市泉区)にあるダイエーレジャーランド(泉DLL→オレンジワン泉(現在は閉鎖))に通い、本田武史を育てた長久保裕に師事。小学校3年生のとき3回転ジャンプをマスターしてしまったというまさに天才児であった。全日本ジュニアでは3連覇するも、世界ジュニアでは表彰台すらなく、順位的にも第2代表であった村主章枝の上を行くことはなかった。

また、荒川静香の両親は一般的なサラリーマン家庭であった為、フィギュアスケートでは費用が莫大に掛かる為に、衣装は母親の手作りであったりなど、両親の支えがあった。

1997年の全日本選手権に優勝し、高校1年生の時に地元開催となる1998年の長野オリンピックに出場(13位)。天皇、皇后両陛下観戦のもとで演技をする。

大学入学に伴う上京後は新松戸DLLに所属するものと思われていたが、練習環境などからプリンスクラブに在籍。しかし、指導方針に齟齬があった為、明治神宮スケートクラブに移り、1年間だけ佐野稔に師事する。その後、プリンスクラブに戻り佐藤信夫に師事する。2002年、ソルトレークシティオリンピック代表をかけた四大陸選手権では村主章枝に敗れソルトレイクオリンピックには出場できなかった。

2004年、大学4年生の時に出場した世界選手権のフリープログラムで3ルッツ+3トゥループ+2ループ、3サルコウ+3トゥループのコンビネーションジャンプなどのエレメンツを完璧に決め、技術点で1人のジャッジから6.0満点を獲得し優勝した。しかし、その翌シーズンは、現役続行するかどうかの迷いなどもあり、伸び悩んだ。

2005年のグランプリシリーズは中国杯・フランス杯ともに3位で、獲得スコアはTOP3に入るにも関わらず、組み合わせの妙で同年のグランプリファイナルの出場を逃した。さらに持ち技のひとつであったイナバウアーが得点対象から外れた。絶望的になった荒川は「(自分以外の)日本選手3人がグランプリファイナルで表彰台に上がったら(トリノオリンピックへ内定してしまうので)、その時点で引退する」と発言してファンを心配させたといわれる。12月末の全日本選手権で3位。トリノオリンピック代表選手に決定。

2006年トリノオリンピックフィギュアスケート・女子シングルにおいて、自己最高得点をマークし、アジア選手として五輪フィギュア史上初の金メダル(併せて同大会日本人選手最初のメダル)を獲得した。会場の観衆はスタンディングオベーションで荒川の演技に賞賛を送った。また、CNNやニューヨーク・タイムズなど海外有名メディアでも荒川静香金メダル獲得を一面トップで飾った。なお、06年2月現在で24歳の荒川は、五輪女子フィギュア史上最年長の金メダル獲得選手でもある。最近はただ上体をそらしただけのイナバウアーのものまねが流行っている。

2006年5月7日、記者会見を行いアマチュアからプロへの転向と競技選手としての引退を表明した。会見の席で『今後は自身の演技力の向上やスケート界を広くサポートしていきたい』と語った。またその際に、プロ転向最初のショウで公開するかもしれないということで自分の滑りをビデオを使って説明した。愛犬を抱えたまま「レイバック・イナバウアー」をするビデオを公開し、「これはイヌ・バウアーです。」と説明した。

2006年6月1日放映の、テレビ朝日ドラマ「七人の女弁護士」にゲスト出演。島崎弥生検事役で、釈由美子らレギュラーの7人の女性弁護士との女子大生殺害事件に火花を散らす物語に挑んでおり、スケートシーン(但しフィギュアスケートのシーンではない)も収録した。この際、当初は「スケートをうまく滑れない役」を要求された様だが、本人曰く「5歳から滑っているので、滑れない感覚が判らない」との事で、そういうシーンはドラマに出ていない。代わりにバランスを崩した拍子にイナバウアーの様に体を反らしながらも転ばないというシーンがオマケ的に用いられた。また、スケートシーンの収録後に、ドラマのスタッフやキャストとテレビ朝日系列の報道陣に、珍しい「普段着でのイナバウアー」を披露した。





主な成績
1994年 トリグラフトロフィーに出場し、国際大会にデビューする
1994-95年
全日本ジュニア選手権 優勝
1995-96年
全日本ジュニア選手権 優勝 (2連覇)
1996-97年
全日本ジュニア選手権 優勝 (3連覇)
1997-98年
ジュニアからシニアに転向し、全日本選手権 初優勝
長野オリンピック 13位
世界選手権 22位
1998-99年
全日本選手権 優勝 (2連覇)
四大陸フィギュアスケート選手権 6位
2000-01年
四大陸フィギュアスケート選手権 6位
2001-02年
四大陸フィギュアスケート選手権 2位
2002-03年
全日本選手権 3位
第21回冬季ユニバーシアード競技大会 優勝
群馬国体(成年女子) 優勝
アジア冬季競技大会 優勝
四大陸フィギュアスケート選手権 2位
世界選手権 8位
2003-04年
GPファイナル 3位銅メダル
世界選手権 優勝 (日本人3人目)
2004-05年
GPシリーズ ロシア杯 2位
GPシリーズ NHK杯 優勝
GPファイナル 2位銀メダル
世界選手権 9位
2005-06年
GPシリーズ 中国杯 3位
GPシリーズ フランス杯 3位
全日本選手権 3位 (187.36)
トリノオリンピック 優勝金メダル (SP:66.02+FS:125.32=191.34) 〔FS使用曲 : 歌劇「トゥーランドット」よりオムニバス <ジャコモ・プッチーニ 作曲>〕


荒川静香

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